はじめまして。
わしは40代独身先天性の奇形で生まれたマイナス要素しかないおっさんだ。
性根
わしは常に何かしらに腹を立てている。
例えば電車の中、例えば街中、例えばコンビニ、例えば職場、例えば図書館、例えばアップルストア、例えば楽器屋
もうここまでくると精神異常者だな。
なぜ、こんな偏屈な人間になったのか。。。???
いつから、こんな偏屈な人間になったのか・・・
生い立ち
まずわしの生い立ちから。
わしは先天性の奇形をもって生まれてしまった。
鼻が普通の人より極端に低い奇形だ。いや、低いというより潰れているといった方がいいだろう。
そして鼻の骨がない。押すとぺしゃんこに潰れる。軟骨部分が欠損しているのだ。
小中学校では、ずっとこの鼻のことでからかわれていた。しかし親には「ちょっと普通の人より違うだけで健常者の範囲内である」と言われてきたので、子どものわしはもうどうすることもできなかった。
子どもながらに「絶対普通の人の鼻と違うだろう」と思っていたが・・・
30歳になって奇形だったと知る
結局奇形のまま就職して30歳になったころだったか。
意を決して自分の奇形について総合病院の形成外科で精密検査を受けることにした。
10年近く経った今でも覚えている。CTスキャン撮っている最中の惨めな思い、悲しすぎて、今思い出しても涙が出てくる。
検査の結果、医者からは極めて稀な先天性の奇形、「ビンダー症候群」であると診断された。・・・
長年の疑問が解消された喜びなど沸くはずもなく、やはり奇形だったのか、という悲しい感情が沸いてきたのを覚えている。
帰りの電車内で、「ああ、やっぱり奇形だったのか・・・」という思い・・・、涙が出てきたので電車内ではずっと下を向いていた。
CTスキャンのデータをCD-ROMでもらったので、帰宅後PCで見てみた。
自分の醜い顔が、頭蓋骨があらゆる角度から撮られていた。
自分の頭蓋骨を見るというのはなんとも奇妙なものだ。家にはプリンターがなかったので、コンビニで何枚か印刷した。
自宅に戻り印刷した画像をまじまじと見る。あまりにも絶望的だ。
30歳になって「お前は奇形だ」と突きつけられたのだ。
奇形判明後の生活
もともと人の目を見て話すのが苦手だった。なぜなら、相手が自分の鼻を見ているかのように思ってしまうからだ。
そして奇形が判明した後は、目を見て話すことが余計に苦手になった。そして外出中は常にマスク、夏でもマスク、他人から見られる状況にある場合は常にマスクをするようになってしまった。
コロナ前からマスクが手放せなかったのである。
鼻の手術
鼻を手術すれば解決するじゃないか、そう思われるかもしれない。
しかし、ことはそう単純ではないのだ。
鼻を手術すれば、わしのことを知っている人間に「こいつ、整形したな」って思われる。
そういうふうに思われるのがわしにとっては耐え難いこと。
個人的に何件か医学雑誌の手術写真を取り寄せたが、あれを見ると手術しようとは思わない。鼻を切開して、自分の肋骨から切り取った軟骨を埋めるらしい。
恐ろしや。
それと、医療保険が適用される手術となるのかどうかがわからない。
通常の美容整形とは違うとは思うが、結局のところ誰にも聞いていないし、そもそも誰に聞いたら教えてくれるのかがわからない。
今後の展望
特段、何も考えていない。このまま独身で惨めな最後を迎えるんだろうなと思っている。
死に方については、寿命で死ぬのは勘弁願いたいな。独身の孤独な老人ほど惨めなものはないからね。
自殺が1番いいのかもしれない。一時期自殺しようと思って七輪と練炭を買ったんだ。
でも結局死ねなかった。その勇気がそのときにはなかったんだね。
今は5mくらいのロープを持っている。いつでもこれで自殺できるという安心感を持って、何とか日々暮らしている。
しかし、この潰れた鼻のまま残りの人生を生きていくのが本当に辛い。
奇形で生まれなければ・・・・常に、毎日、そして毎時間、そのことを考えてしまう。
まとめ
最初に書いた、なぜこんな捻くれた人間になったのか? に対しての答えは、
生まれながらの奇形という不幸を呪い、この奇形のせいで極端に卑屈になったしまったから、
というものになるのだろうか。
当ブログでは、わしの日々感じた怒りや不満に思っている出来事をうっぷんばらしを込めて投稿していくことになる。
おそらく誰の得にもならないような内容であるが、それでもいい。
とどのつまりわしのストレス発散のためのブログというわけだ。