他人を許せない人間についての考察

最近、脳科学者中野信子氏の「人は、なぜ他人を許せないのか」というタイトルの本を読んでみた。
内容はタイトルで概ね想像できると思うが、ざっと説明すると

何かしら不祥事(不倫等)をおこしてしまった人や会社を自分は直接被害を被ってないのに不必要に叩いたしまう人について、その原因と解決策を示した本である。

中野信子氏は当該著書の中で、不正義な他人を許せず攻撃するとドーパミンが放出され快楽を感じてしまう中毒状態になった人間を「正義中毒」と呼んでいる。

同氏は正義中毒を乗り越えるカギはメタ認知であるとしている。

正義中毒に陥らないようにするカギは、先ほどお話ししたメタ認知です。常に自分を客観的に見る習慣をつけていくことです。

人は、なぜ他人を許せないのか?(P204)(中野信子)

多くの人間が客観的に物事を考えることができず、不正義な人間を攻撃してしまう。

わしも同じである。不正義な人間(わし基準)を見つけて、怒りを感じ、場合によっては誹謗中傷をネット上に書き込んでしまう。わしも正義中毒でなのである。

同氏の本を読んでどうにかしてこの状況から脱することができないか?

今回は最近あった有名人のちょっとした発言行動から炎上し多くの匿名の人間から誹謗中傷をされた事例を紹介しつつ、正義中毒から解放されるためにいかに思考すべきかを示したいと思う。

TBSおにぎり炎上事件

まずはこの事件である。

〝試食拒否シェフ〟のSNS全閉鎖 TBS異例の呼びかけも中傷収まらず

東京スポーツ

“試食せず”で物議「ジョブチューン」 “無関係”シェフへの中傷相次ぐ 番組呼びかけ「迷惑行為止めて」

スポニチ

ファミマ担当者ガチ泣き…辛辣審査が波紋 ジョブチューン酷評シェフに「流石に失礼」「見ていてつらかった」

J -CASTニュース

しかし、わざわざ自分の時間を割いてシェフのツイッター、インスタグラムはおろか店にまで攻撃するなんて頭がイカれているとしか思えんわね。

自分が直接不利益を受けたわけではなく、一度も会ったこともない人間に対して態度が不正義であるという理由で攻撃するのである。
不正義な人間相手なら何をやっても許される。なぜなら、不正義な人間を攻撃する自分の行動は正義であるからだ!!
必死こいて被害者シェフを攻撃したりシェフの店に嫌がらせをしている人間は、自分はいいことをしていると思っているのだろう。
側から見れば、明らかに基地外の行動である。

ここでメタ認知である。
客観的に自分を見る!!
これが正義中毒から抜け出すために重要なことなのだ。

梅宮アンナウォッシャー液事件

次はこのニュース。
ふふふ、人間って馬鹿で愚かで面白いねw

梅宮アンナ、運転中の「ウォッシャー液被害」に激怒 批判受け「悲しくなる」と反論も…投稿削除

J-CASTニュース

梅宮アンナさんの意見が自分勝手だという理由で攻撃。
あのさぁ、攻撃した人さぁ、梅宮アンナさんから何か嫌がらせされたの?されてないよね?
それなのに何でそこませ執拗に攻撃するのか。

梅宮さんが攻撃された理由、梅宮さんの考え(走行中はウォッシャー液出すなという主張)が、攻撃者の正義に反することであったからである。
とどのつまり、自分の正義と合わないことをすることが許せないのだ。

キンタローモンペ事件

なんでこんなことで炎上するのかねぇ・・・
まずはニュースを引用。

キンタロー。に“モンペ”批判が殺到、娘の怪我にパニックでブログ連続投稿し炎上続く

wezzy編集部

これは保育士の事情を考えず、自分の意見を一方的に述べて保育士を責め立てるような発言をしてしまったことで多くの人の正義に反してしまったようだ。
保育士って大変な仕事だということが世間一般の共通認識となっていることから余計に正義中毒者の攻撃心に火をつけてしまったのではないだろうか。
しかし梅宮アンナウォッシャー液事件と一緒で、正義中毒者が直接被害を被ったわけではないのになぜここまで攻撃するのか?
なぜ我慢できないのか?
キンタローが君らに何か被害を与えたのか?
なんなんだろうね、一体。。。

ホリエモン餃子炎上事件

餃子屋さんがかわいそうなニュース。
まずはニュースを引用。

堀江貴文氏とトラブルの餃子店休業 「着信音を聞くのも苦痛」「妻が体調不良に」

J-CASTニュース

この事件には2つの正義中毒がある。
1つはホリエモンファンネルが餃子屋さんに攻撃する正義中毒。
もう1つはホリエモンがフェイズブックに書き込んで餃子屋さんにファンネル攻撃させたことに対して攻撃する正義中毒。

いずれも自分の正義に反することをした相手を攻撃するという事象。上に挙げた事件と根本は同じである。

結局のところ、世の人々は攻撃できる相手、攻撃しても差し支えない相手を常に探しているのだ。

まとめ

わしは何をしたかったのだろう・・・
こんなどうでもいい内容を書いてしまって。自分自身に怒りを感じてきた。
この記事を書こうと思ったのが1か月くらい前、それからネタだけを集めて、先延ばしにしてようやくこの内容の全くない記事が出来上がったのである。

この無内容の記事を書いてしまったわしに対してメタ認知を実施したところ、この記事を書き終えた今のわしに対して、客観的なわしが猛烈に怒りを感じている。
これもうわかんねえな。

こういうこともあるさ。でも、基本的には常にメタ認知を持ちつつ、時には感情にまかせて怒るのも悪くはないんじゃないかな。
もちろん他人を誹謗中傷することは御法度、しかし時には感情を爆発させなければ息が詰まる。
メタ認知と直情認知。
うまく使い分けて生きていくことが大事だということを主張して、このゴミ記事のまとめとしたい。

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